並河靖之七宝記念館

  1. ホーム>
  2. イベント・スケジュール>
  3. ご挨拶と秋季展覧会について

祝 開館20周年・リニューアル記念

秋季特別展「並河靖之、その人生観―七宝と親交」

館長よりご挨拶

このたび並河靖之七宝記念館では、祝 開館20周年・リニューアル記念 秋季特別展「並河靖之、その人生観―七宝と親交」を開催いたします。 並河靖之(1845・弘化2年~1927・昭和2年)は、明治・大正期に活躍し、帝室技芸員となった七宝家です。当館は、靖之が営んだ「並河七宝」の《工場》と《店》からなる旧並河邸を保存活用し、2003(平成5)年4月に展示公開施設を開館し、20周年を迎えました。
主屋は1893年(明治26)4月に上棟、翌年に竣工し、靖之が住まい暮らし、来客をもてなす場として、並河家の常からの住まいとして、数十年毎の修理を経てきましたが、昨年中は公益財団法人並河靖之有線七宝記念財団にて、さらなる歳月を重ね、未来へと繋ぐため文化財としての本格的な保存修理事業を行いました。休館中は各方面の皆様に大変ご迷惑をおかけしましたが、お陰様で築130年の節目となる今春にリニューアル開館しました。
2003年の開館当初は、「ナミカワヤスユキ」の名前どころか、「シッポウ」さえも、まだまだ知られざる存在で、開館と同時に七宝などの館蔵品より先に建造物や庭園が文化財となり、「七宝」以外の多方面からもご興味をお向けいただきました。2008(平成20)年には国登録有形文化財「工第2号 並河靖之七宝資料 千六百六十二点」(七宝、下画、道具類)となり、当館は建造物、庭園、館蔵品の全てに文化財価値を有する民間では希少な場所となりました。2015(平成27)年には当館を含む界隈が国重要文化的景観「京都岡崎の文化的景観」に選定され、人々の暮らしや生業など地域の風土により形成された文化性が高く評価されています。
かつて、靖之の養女・並河徳子は「父を語る」と表題した手記を綴っておりますように、記念館を末永く継承していくことこそが、当財団のなによりもの使命と励んでまいります。本日ご来館の皆様には是非とも「並河七宝を語りつぐ」お一人になっていただき、ご支援賜りますれば、実に心強く、嬉しく、幸甚のみぎりです。

公益財団法人 並河靖之有線七宝記念財団 理事長
並河靖之七宝記念館 館長
並河 英津子


展覧会趣旨

祝 開館20周年・リニューアル記念
	秋季特別展「並河靖之、その人生観―七宝と親交」

本展覧会は、七宝家・並河靖之の七宝業を支えた人生観に、並河家に遺されてきた七宝や靖之の親交からふれていただき、並河七宝と明治の七宝業の新たな魅力をご紹介します。
今日なお、世界中の人々を魅了する並河靖之の七宝業の存在が、日本国内で知られるようになったのは、2000年代入ってからに過ぎません。しかし、今から思えば明治の近代七宝業も当時は知られていない新興産業でした。
靖之は、そもそも七宝や物づくりに携わる家に生まれたわけではなく、生家は近江栗太郡六地蔵梅野木の高岡家で、川越藩京都留守居役の武家でした。並河家には1855(安政2)年に数11歳で養子に入り、同家が青蓮院門跡坊官を務める家柄で、天台座主・青蓮院宮入道尊融親王(後の久邇宮朝彦親王)に仕えました。主人が被る幕末維新の境遇に自身も翻弄され、先行きへの不安が絶えずあり、靖之は朝彦親王に仕える傍ら1873(明治6)年に七宝を手掛け、1878(明治11)年に専業とします。
当時、国内では幕末の尾張で開発された尾張七宝が盛んとなり産業としての将来性が期待され、京都でも関心が高まり、靖之も満を持して七宝業に飛び込みました。実業の世界で紆余曲折を経ながら、やがて自身の七宝業を究めて、珠玉の並河七宝を創出し、日本の七宝を世界に冠たるものとしました。靖之が創始した「並河七宝」は類ない耀きと高雅さを放ち、19世紀の万国博覧会を通じてその名を世界に馳せ、多くの人々を京都へと誘いました。 約五十年にわたる偉業を一代で成し得た靖之を支えたものは、新時代の生きる術として、人生を投じた七宝への熱情があったことは勿論ですが、その心情は多くの人との親しい交友によって助けられ、培われていったものです。人生の一大事に遭遇すると、心は大きく揺らぎますが、それを踏み越えて、人は誰でも考えを新たにし、新たな一歩を進めていきます。真摯に生きた靖之の人生観は、人生の折々で変わったことは想像に難くありませんが、根底には七宝への探求心と、ひと様への感謝が絶えずあったといえます。
世情は落ち着かないままですが、皆様には当館にて、実りゆく季節の移ろい味わいつつ、心穏やかにお過ごしください。

並河靖之七宝記念館